103 無我夢中

先日、あるチャット上で、ある方が
「無我夢中でした」と仰っていたその言葉が
なんとなく、頭のなかに残っていて。

無我夢中。

無我で、夢中。

無我は、字からすると「我が無い」。

我とは、
自分に捉われること。
他人に捉われること。
モノやコトに捉われること。

つまり、執着というイメージ。
だから、無我は「執着が無い」ということになる。

一方、夢中は、字からすると「夢の中」。

夢の中にいるように、
夢見心地、ふわふわしている。
何かに意識が集中している感じ。


無我=執着がない。
夢中=他のことが気にならない状態。

つまり、
無我夢中とは、
執着がなく他のことが気にならないくらい
集中=没頭している状態。

ということになる。

これってさー、なんかすごい幸せなことじゃない?
なんか、究極。
生きる目的の最終ゴール。

お金がたくさんあります。
大きな家に住んでいます。
地位ある立場にいます。

とか、そういうのって、幸せに直接結びつかない。

幸せに至る、途中で、手に入れるものかもしれないけど
最終ゴールじゃない。
あくまで、手段・道具。

最終的には、無我夢中にいきたい。

・・っていうか、今すぐなれんじゃん。

今すぐ、やりたいことに無我夢中になればいいんじゃん。
ということは、今すぐ幸せになれんじゃん。

おー、なんかすんごいことに気がついた(自画自賛;笑)。

何か、仏教とかでも言ってそうだけど。
今、自分で、ここまで導き出せたことがすごく嬉しい。

幸せって、めっちゃ簡単。
今すぐなれる。

無我で、夢中になれる状態であれば。

そうじでも、仕事でも、家事でも、
お散歩でも、なんでも、無我夢中でやったら、
その瞬間から幸せになれる。

・・ということを書いている、
私はいま、無我夢中で、これを書いているので
幸せなんだなぁ。

幸せな最中って、幸せであることに気がつかないんだなぁ。
夢中だから。
目の前のことに。

そうか、そうすると、
無我夢中の瞬間を、毎瞬・毎瞬積み重ねていると
幸せを感じる暇もないんだ。

なんか、逆説的。
だけど、これって本質かも。
うーん、うまく言えないけど。

本当に幸せなひとは「幸せです」と
わざわざアピールしないのかも。

人に伝えるものじゃなくて
自分で感じるものだし、
幸せな最中は、自分も幸せに気づいていないから。

・・などと思った、今日は8月最終日。
明日から9月だ。

とにかく、わたしは、
お客様・社員がいま在ってくださることに
本当に幸せを感じます。
(あ、言っちゃった)

著者:薩田有紀代
株式会社BiP 代表取締役。